○海部内閣総理大臣 お示しになりましたことはちょっとそのとおりではございませんので私から率直に申し上げますが、医療班を編成して派遣をし、お願いをして派遣してある先へ私自身もサウジアラビアで派遣班とお目にかかっていろいろ話を聞いてきました。またヨルダンの難民キャンプの方へも先遣隊の一部が回って実態調査もしてもらいました。私もそこへも行ってまいりました。
そして今回の派遣班が、そういうものについての病害虫の駆除あるいは追肥あるいは開花物の摘み取りを行うということ等を中心にやってくれておるようでございます。もちろん、キヌサヤエンドウやその他の関係もあるようでございます。
○岡野裕君 御指名によりまして東北派遣班の報告をいたします。 去る十月二日から四日まで、東北管内における逓信関係業務の実情を調査してまいりました。派遣委員は大森委員長、志村、服部の両委員と私であります。
派遣班は、私、染谷誠と、江藤隆美、塚原俊平、岩垂寿喜男、上田卓三、鈴切康雄、神田厚、狩野明男、木野晴夫、上原康助、矢山有作、榊利夫、中路雅弘、楢崎弥之助の十四委員で構成し、六月三日の一日間、兵庫県に参り、県及び神戸市の両当局から同和対策について説明を受けますとともに、神戸市の一地区を調査したわけであります。
派遣班は、私、始関伊平と小宮山重四郎、村田敬次郎、岩垂寿喜男、上原康助、鈴切康雄、受田新吉、柴田睦夫、中川秀直の九委員で構成し、現地において安井吉典委員の参加を得て、四月四日、五日の二日間の日程で北海道に参り旭川営林局、札幌営林局、北海道管区行政監察局及び旭川行政監察局の四行政機関の機構並びにその運営等について実情を調査したほか、北海道庁において副知事等から道有林野事業の概要及び営林局の組織改正に関
派遣班は、私、正示啓次郎と木野晴夫、竹中修一、木原実、長谷川正三、受田新吉、逢沢英雄、関谷勝嗣、栂野泰二、新井彬之、市川雄一、米沢隆、柴田睦夫、中川秀直の各委員で構成し、現地において上原康助、玉城栄一、瀬長亀次郎の三議員の参加を得て、四月二十日から二十日までの三日間の日程で、内閣提出の沖繩県の区域内の駐留軍用地等に関する特別措置法案と、安井吉典君外二名提出の沖繩県の区域内における位置境界不明地域内の
派遣班は、木野晴夫、大出俊、中路雅弘、鬼木勝利、受田新吉の五委員で構成し、兵庫県及び大阪府において和田貞夫委員の現地参加を得て、六月二十八日から三十日までの三日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、海上自衛隊第三一航空群、宇宙開発事業団種子島宇宙センター、陸上自衛隊中部方面総監部、陸上自衛隊第三師団、大蔵省造幣局及び近畿管区行政監察局をそれぞれ調査したほか、
派遣班は、木原実、鈴切康雄、竹中修一の三委員で構成し、六月三十日から七月二日までの三日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、海上自衛隊大湊地方隊、海上自衛隊函館基地隊、北海道開発局室蘭開発建設部、函館営林局室蘭営林署、陸上自衛隊第七師団及び航空自衛隊第二航空団を調査いたしました。
派遣班は、藤尾委員長、木野晴夫、大出俊、中路雅弘、鈴切康雄、受田新吉と私、越智伊平の七委員で構成し、現地において上原康助、瀬長亀次郎の両委員及び安里積千代議員の参加を得て、四月十四、十五の二日間の日程で、沖繩のキャンプ・ハンセン内県道一〇四号線越え実弾演習問題等について、第一日目の十四日は、屋良沖繩県知事、平良県議会議長と懇談をいたし、また那覇防衛施設局より同問題の概況説明を聴取したほか、沖繩総合事務局
○中路委員 私が言っていますのは、制服も着て活動する、それからいま言ったように内容は、実際は防衛庁の出向であっても、外務省を通じて軍事情報もとり、そういう指示も与えておるという、実際にはこれは外務省のいわゆる外務公務員の身分ですけれども、自衛隊のいわば海外派遣班というような機能を事実上は果たしているんじゃないか。実際は防衛庁の海外の出先機関になっているんじゃないか。
派遣班は、奥田敬和、旗野進一、大石千八、木原実、和田貞夫、受田新吉の六委員で構成し、現地態本県において吉永治市委員の参加を得て、十月一日から四日までの四日間の日程で行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として航空自衛隊第五航空群、宮崎営林署、宮崎県陸運事務所、海上自衛隊鹿屋航空基地、鹿児島行政監察局、陸上自衛隊西部方面総監部及び第八師団をそれぞれ調査したほか、日本石油基地株式会社喜入基地
派遣班は、小宮山重四郎、大出俊、中路雅弘、三塚博、鈴切康雄、私、竹中修一の六委員で構成し、十月一日から四日までの四日間の日程で行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として人事院東北事務局、仙台通商産業局、岩手行政監察局、岩手統計情報事務所、航空自衛隊北部航空方面隊、三沢防衛施設事務所、青森営林局及び陸上自衛隊第九師団をそれぞれ調査したほか、米軍三沢基地、米軍所沢補給廠及び松川地熱発電所
派遣班は、私、大出俊と服部安司、中路雅弘、竹中修一、和田貞夫、鈴切康雄、受田新吉の七委員で構成し、現地において上原康助、瀬長亀次郎の両委員の参加を得て、三月十五日より同月十七日までの三日間の日程で、運輸省設置法の一部を改正する法律案の審査に資するため、沖繩における航空交通管制の実情等を視察、調査してまいりました。
派遣班は、三原朝雄委員長のほか、奥田敬和、大出俊、中路雅弘、竹中修一、鈴切康雄、受田新吉の六委員で構成し、現地において藤尾正行委員の参加を得て、十月十五日から同月十八日までの四日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、航空自衛隊西部航空方面隊、海上自衛隊壱岐警備所、厳原海上保安部、海上自衛隊対馬防備隊、対馬営林署、人事院九州事務局、九州管区行政監察局、佐賀行政監察局
派遣班は、笠岡喬、近藤鉄雄、大石千八、和田貞夫、坂本恭一の五委員で構成し、ほかに現地において越智伊平、横路孝弘の両委員の参加を得て、十月十五日から十八日までの四日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、航空自衛隊稚内分とん基地(稚内レーダーサイト)、稚内海上保安部、陸上自衛隊第二師団、旭川行政監察局、旭川営林局、航空自衛隊長沼分とん基地(長沼ナイキ基地)、北海道開発局及
沖繩派遣班は、私、藤尾正行と奥田敬和、木原実、中路雅弘、旗野進一、三塚博、吉永治市、和田貞夫、鈴切康雄、受田新吉の十委員で構成し、現地において大出俊、坂本恭一、上原康助の三委員の参加を得て、六月十一日より同月十三日までの三日間の日程で、防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法律案の審査に資するため、沖繩に配備されている陸、海空の各自衛隊の基地等を視察、調査するとともに、屋良沖繩県知事、平良那覇市長
派遣班は、坂村吉正、伊藤惣助丸、和田耕作、東中光雄の四委員で構成し、八月九日から十二日までの四日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、航空自衛隊第三航空団(小牧基地)、名古屋営林局、名古屋防衛施設局、航空自衛隊第六航空団(小松基地)、陸上自衛隊金沢駐とん地、石川行政監察局、北陸郵政監察局、北陸郵政局、北陸電波監理局、航空自衛隊第二三警戒群(輪島レーダーサイト
派遣班は、野呂恭一、加藤陽三、鈴切康雄の三委員で構成し、八月九日から十一日までの三日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、人事院中国事務局、中国管区行政監察局、海上自衛隊呉地方総監部、海上自衛隊江田島地区機関及び部隊、呉防衛施設局、大阪航空局並びに川崎重工神戸工場をそれぞれ視察、調査いたしました。
派遣班は、熊谷義雄、塩谷一夫、和田耕作、鬼木勝利、東中光雄の五委員で構成し、七月十三日から十七日までの五日間の日程で、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査を目的として、釧路行政監察局、陸上自衛隊釧路駐とん部隊、根室海上保安部、根室営林署、網走開発建設部、網走刑務所、陸上自衛隊美幌駐とん部隊、弟子屈営林署、帯広陸運事務所、帯広営林局及び陸上自衛隊第五師団をそれぞれ視察、調査いたしました
派遣班は、天野公義、佐藤文生、坂村吉正、大出俊、佐藤観樹の五委員で構成し、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査をおもな目的として、七月一日から四日までの四日間の日程で、小笠原村の硫黄島及び父島に参り、海上自衛隊硫黄島航空基地分遣隊、同父島基地分遣隊、防衛施設庁小笠原防衛施設事務所、気象庁父島気象観測所、小笠原総合事務所等の各機関をはじめ、小笠原の復興状況等を視察してまいりました。
派遣班は、三池信、木原実、浜田光人、武部文、鈴切康雄の五委員で構成し、行政機構並びにその運営、自衛隊及び公務員制度の実情調査をおもな目的として、九月十七日より二十二日までの六日間の日程で、青森県、秋田県及び北海道に参り、航空自衛隊北部航空方面隊(三沢基地)、青森営林局、三本木営林署、秋田営林局、八郎潟新農村建設事業団、陸上自衛隊秋田駐とん地、航空自衛隊第二航空団(千歳基地)、陸上自衛隊第七師団、同第一
さらにまた、今、大臣のお話しのとおり、保安監督官の処遇の改善等については、先般、保安監督部を、福岡、札幌については局に昇格させ、あるいは派遣班を保安監督署に昇格させる。その他の面においても、改善の努力はなされておるが、こういう面において、まだまだ、これは不十分、不徹底の面もあると私は見るわけです。
○政府委員(入谷芳裕君) まず、後者のほうから申し上げますと、監督署の設置によりまして、単に派遣班と従来あるものを衣がえをするというだけでは決してないわけでございまして、過去の経過をたどってみますと、当時あの上清、大辻というような災害がありまして、しかも、監督機構の拡充ということを決議下さいましたのは昭和三十六年の三月でございましたが、それ以降、閣議決定等によりまして人員の増強等もはかって参りました